乗禅寺縁起
- えんぎ観音『乗禅寺』の歴史
えんぎ観音『乗禅寺』の創建は昌泰元年(898年)人皇六十代醍醐帝のはじめの頃、京畿に群盗が横行し、瀬戸内の海には海賊が集っていた時代の事です。中国に遣唐使を出せばこれを略奪され、遂に遣唐使を廃止に追い込まれるような時代でもありました。
その頃、伊予の国野間郡小谷村に、名を頓魚上人と申す名憎がいらっしゃいました。
伊予国国分寺巡視に立ち寄り帰朝した菅原道真公より醍醐帝は、頓魚上人の法力仏力の効顕なることを聞かされ、ある夜夢に見られ後に勅旨を出して召されたのでした。三日もたたない内にそのご病気が癒ってしまったので、天皇は大変喜ばれて当地に七堂伽藍を建立して下さったそうです。以降醍醐帝の親任厚く時にふれ病気、心痛等の平癒祈願をされたのです。
年移り年号を延喜と改元すると共に、乗禅寺は帝の勅願寺となりました。所も伊予国延喜乗禅寺となったのでございました。延喜帝崩御の後、裏山に御陵建立し現在に至っています。その名も「帝さん」と称されて信仰篤く、誰でも一つだけの願いを叶えてくださるとの伝脱があります。
その後、人皇95代後醍醐天皇より特別の帰依を受け、再び七堂伽藍を改築造営され、ご綸旨を賜りて将軍足利尊氏教書、河野家より寺領五百石の寄進を 納めるようになりました。この時の御醍醐天裏からの祈祷申込書や足利尊氏の祈祷申込指令書もお寺で原型のまま保存しています。御醍醐天皇に由来するこの乗禅寺は、周辺住民にとって信仰の対象としてだけでなく、生活・文化の拠点として発展しています。